ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

夏至も過ぎたと聞いてはおどろく

 体温は、下がらない。熱が下がらない理由は、単に身体の中に入り込んだ菌だかウイルスだかが十分に暴れきっていないからというのがひとつ、もうひとつは、普段の炎症を抑えるためにのんでいる薬を(あげてしまうので)のめないからというのがひとつ。熱冷ましのLを嚥下するも5分後にあげてしまい、たぶん外に出てしまっただろうから新たにもう1錠のんでもいいようなところ、もし体内に残っていたら一種の過剰摂取でまずいことになると思えば追加の1錠にもなかなか手が伸びない。ゲルの氷枕で頭を冷やしながら天井のぼんやり白い模様を眺めて時を過ごすばかりだ。

 夏至が過ぎて、世界各地のお祭りのレポートを聞くだにつけて、北半球で生命活動の一年でもっとも極まる日を病臥して過ごした自分の体たらくを情けなく感じた。作業にも通院にも障りのない時期だったのがせめてもの幸いだった。

 

 

 17巻あたりから新たに仁明帝の皇后であった太皇太后藤原順子が登場。「五条の后」として、藤原高子が業平に拐かされた当時の監督責任者であったと『伊勢物語』にもある。曰く、「藤原を煮詰めたような女」。業平といえば、『伊勢物語』に途中から追加されたのではともいわれるいわゆる「狩の使い」の章段で、紀静子所生の斎宮である内親王との間に密かに子を儲け、その子が高階氏の祖となったために、高階氏外戚とする中宮定子の血筋に皇統が伝えられるのに憚りがあった、などと一部で伝えられる。実際にそのような説を皆が本気で信じていたとしたら、定子の父親の道隆が高階の娘に求婚する際にそのまた親父の兼家あたりが潰しにかかったと思う。