2日は5時前に起きてサンふじを1個食べてまた6時半まで寝たのだったが、3日は、3時半からなぜか眠ったり起きたりしながらiPadで青空文庫の短編を拾って読んでいた。ふらふらしていて刃物を使うと怪我をしそうだったので、16穀パンの上の4分の1を、しめじをバターで炒めたのに添えて出した、その残りの4分の3を生で囓った。横光利一『御身』は、大好きな姉の生んだ姪をいとおしく思い、その健やかな成長を祈る、年若い叔父の話、なのだけど、現代的ないろいろな先入観を振り捨ててから読んだほうがよい。生物学的に血の繋がった、日本の民法(キリスト教での親等の数え方はしらない)でいうと3親等の間柄の叔父姪の結婚は、以前はわりとよくあることだったと聞く。以前、といっても、それをわたしが聞いたのは、何十年も昔のことだけど。もちろん、公然とは、叔父姪あるいは叔母甥で夫婦になったとはいわなかっただろうが。そう、亡くなった叔母の夫である義理の叔父に密かに思いを寄せ、彼のこどもを授かった女の話をちょうど2日の昼間に観た映画で(再見)。『必死剣鳥刺し』という藤沢周平の海坂藩もので、主人公が石高280石というクラスの武士だったせいか、豊川悦司も池脇千鶴も現代標準語だった。同じ海坂藩ものの実写化でも、『たそがれ清兵衛』の宮沢りえは、上級武士の家の娘だったけれど、優美なお国訛りを操っていた。鴎外『あそび』『食堂』は、「闘う家長」であった筈の鴎外がその分身である「木村」を独身の高級官吏に置き換えて、役所に毎日出るけれど文壇でもなにかと役目のある中年の日常を描いている。単語だけで英仏独がぱらぱら散らばっているのは、旧制高校っぽい教養主義なのか、それとも鴎外先生、あたまの中は半ば外国語で構成されていたのか。
ところで、はてなアノニマスダイアリーで縊首を試みた人のエントリが出ていて、これも2日の調べ物の中で偶然、同じ行為の詳細な描写を繰り返し読むことになった。絞首刑が結果として、実質的に「残虐な刑罰」になるかどうかは、偶然が支配する要素が大きいということで、同様に、首吊りもやめたほうがいいです。
追記:
偶然は重なる。神経が尖りすぎているのかもしれない。ともかく、ちょうど『必死剣鳥刺し』で、主人公が鳥黐のついた細い棒で雀を捕るシーンを観たばかりだったので。
木村は今云ったような犬塚の詞を聞く度に、鳥さしがそっと窺い寄って、黐竿の尖をつと差し附けるような心持がする。
森鴎外『食堂』