ぴょん記

さつまいも、たべたい。

2020年2月半ばの公衆衛生の一場面×2

 これは、先月、西日本などを数日間ぶらついたときのこと。今年の春節は早めで、しかも始まってまもなく、Mainland China からの団体旅行客が来日しなくなったので、かの国の人も含めて、洛中洛外に外国人旅行客の姿は少なめだった。

 1月の半ばに、都営バスの前のほうの座席で70代の声の元気な女性たちが、通路を挟んで賑やかにおしゃべりしているのを聞きつつ、半時間ほど過ごして、あとからあれは公衆衛生の観点からどうなんかなと思わないでもなかった。そして、2月半ば。嵐電で隣り合わせた黒くて柔らかい樹脂のマスクを掛けて、しかし、それを顎までずり下ろした20代の女性が、連れの男性にけっこうはっきりした口調でなにごとか言ったとき、わたしは、主観的にはそっと腰を浮かせて、車内の離れた方向へ移動した。彼女が話し始めたとき、その口元と、わたしの眼球の彼女に近いほうのが、直線距離で30センチくらいだったからだ。

 ところで、彼女たちを含めて、嵐電内の殆どの乗客は、マスクを着用していた。他方、1月の都営バスの高齢の女性たちは、マスクもなにもなく、さかんに唾液を飛ばしながら活発に会話していた。ふたつを比較すると、既にその1か月弱の間に、公共交通機関の中におけるエチケットの水準は*1ぐんと上昇していたのかもしれない。もっとも、これもあくまで主観的なものだし、1月は都内で、2月は京都市内でのことだから単純に比較できないけれど。

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 それから、帰りの北陸新幹線の車内で、その「かがやき」は、グランクラス以外、ほぼ満席とアナウンスされていたのだけど、長々と通路に立って座席にかけた仲間のひとりと話している人がいた。お酒かなにかが理由で、顔がずいぶん赤かったし、声もかなり大きく、マスクもしていなかった。見掛けは東洋人で、ことばは広東語か別のなにかはわからなかった。彼は、わたしの座席から1メートル以上離れてはいたけれど、2時間少しの乗車時間のうち、やはり30分以上を立ち話で潰していたので、本を読むのを止めて、その顔を注視し続けるという、きわめて控えめな行動で抗議の意を表した。車掌さんにいって注意してもらうのが、たぶん一番穏便なのだろうけど。

 嵐電でもかがやきでも、わたしはきっと、その気になりさえすれば、自分のそばでマスクもせずに大声で話さないでください、とお願いすることはできただろう。でも、2月の半ばの時点では、その気になる要素がそれほどなかった。嵐電にはそこを離れても乗車を続けていられるスペースがあったし、かがやきの中ではその男性の唾液は、飛んでいたとしても専ら旅の仲間のほうに向かって放たれていた*2

 注意するとかお願いするとか、相手の自由を一部であっても制限するとき、なるべく協調的に、自分を抑えて譲る方向で身を処すことを是とされてきたワタシタチは、少し困惑する。ときには不慣れなあまり、きつすぎる物言いをしてしまったり、逆に婉曲すぎて真意が相手に伝わらなかったりする。

 でもね、なになに人は、皆、害毒だから出ていけ、は、さすがにいってはいけない。あれは、「出ていけ」というのは、いわれるととても心が痛い。そういうのは、いわないようにしよう、ね。

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軽い感じのスヌードになる、かな。

 

*1:疫学的有効性はともかくとして。

*2:それはそれでいうまでもなくよくないことだ。