ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

明日が今日よりましなものになる保証はない

 そう、どこにもない。橋本治の窯変源氏だか双調平家だか、ある章の終わりに、「そして、よいことは、どこにもなかった。」という絶望的な一文があって、しかし、それは、ものごとはなんでも満ちれば欠けるし、その朔もいずれは望になるという、とにかく盈満の久しからぬことを踏まえた表現なので、どこかに僅かな救いはある。ひきかえ、いま、少なくとも個人的には、明日明後日の米は辛うじてあるけれども、こころは常に崖っぷちを目隠しして歩いている感じである。タスクの進行具合がまったくもってあれなのである。

 それでも、いいことが、まったくないわけでもない。たとえば、サーロインの少しいい肉を焼いて、そのときにアオハタのいちじくのジャムをソースにつかってみる。旨い赤身の牛肉を前にしても、酒ものめないし、70gも食べればあとで胃が苦しくなるしで食べられる牛の苦しみと比較できるわけではないにしても肉を口にするわたしにさえいいことは少ないけれど、トリプトファンすばらしい牛さんありがとうと感謝して咀嚼する。

 

  橋本が15巻を費やして描いた後白河院の厄介さを、4人の語り手にすらすらと描かせた井上靖の筆力。凝縮の美しさ。

 

 朝食 パン、ヨーグルト、牛乳羹、メロンジュース、コーヒー

 昼食 銀のさらの鮨、とうふの清まし汁

 夕食 アラビアータ、トマト

 

 おそらく、いまのつらさの15パーセントほどは、わたしの椅子への腰掛け方に原因があるのだろう。なぜか右の臀部の外側に重心をおいて椅子にかけるために、ゲル状クッションや低反発性の座布団を使用しても、早晩右脚が痛くなるのだ。だから物理的な対策をあきらめて、心を無にして、木の椅子に直接腰をおろし、臀部の筋肉と皮膚が厚く育ってくれるのを気長に待つことにした。