ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

批判的ペアレントが突出して高い

 

小物臭溢れてた同級生の思い出

保護者に限らないけれど、身近な大人から繰り返し送られて受け取ってきたメッセージがAくんたちをそのような行動に走らせてしまったのかもしれない。たとえば、借りたものを損なって、誰かからひどく叱られたとか

2023/05/17 07:23

 もともとは、「お父さん」が中学生の自分の「息子さん」を「小物」と称してこれからどのように導けばよいのかと始まったスレッドで、わたしは勝手にこれらを「小物シリーズ」と呼んでいる。「小物」は、朋輩の落ち度や違反を教師などの上位者に「報告」するので、仲間内では煙たがられるし、程度が進むとはっきり排除される憂き目に遭う。そういうことでは、この先苦労するだろうと「お父さん」は「息子さん」の将来を危ぶむが、ことははてなアノニマスダイアリーの中にとどまらない。チクリを行う構成員の排除は、洋の東西を問わず、田舎の小学校から極北の政治犯収容所に至るまで、とても普遍的な問題である。

 「小物」臭なのか「小物」感なのかはともかく、自分はともかく他人まで規律に厳格に従うべきだと考えて行動すると、その規律が何であれあとで私的制裁を喰らう。上の「息子さん」は、クラスの合唱コンクールの打ち上げに呼んでもらえなかった。

 いろいろ障りがあるのでぼかして書くと、ある組織に所属していたとき、わたしは、どんな決まりごとでも破らないように行動していた。他人の違反を目の当たりにしてもなにもいわないが、とにかくルールは大小問わず墨守した。そのことでしか自分を守れなかった。その組織では、わたしは、圧倒的にマイノリティであり、時間もお金も限られた状態で、ゲームに参加せざるを得なかった。大きなグループに属する人が犯した違反ならば政治的に目こぼしをされる可能性はあるけれど、自分についてはアウト1回で退場さえあるというひりついた日常をなんとか過ごしていた。

 そのようにルールを守る者は、もしかしたら他人の違反にも厳しく、密告を行う心理的障壁が比較的低いと思われることがある。保身のために決まりごとを守っているだけで、他の人の行いには関心がないと理解されるまで、わたしも少々時間がかかった。

 「お父さん」の話に戻れば、ルールを守ることの大切さを教えて、なおかつ、他人の違反については、腹を立てない、完璧な処遇の平等を求めない、管理者の歓心もほしがらないと処世術を誰かが伝えなければならない。とはいえ、自分や他人の生命身体財産を損なうような違反行為にまで一律に目を瞑れというわけにもいかないよね。そうなるともうなんのためのルールだという話になる。

シカ写真拾遺