程度の差こそあれ、誰であっても、毎日多少は、自分の行為や思考経路、外観内実に厭だなと思うこと正したいと期すものがあるだろう。それにずっと拘泥していても物事が進まないから、あえてそのへんには目を瞑って、日々を送ることだって。
そういう頓服の痛み止めのような判断停止が効かなくなると、物事の進みが滞り始める。どうにか無理矢理回していたルーティンが苦に感じられる瞬間が増え、そうした時間が延び、そこから抜け出すまでの灰色の粘度が高まる。
その点、きょうの午後は、左肩から下が凝って激痛で、薬をのんだら気絶するように小一時間眠って、目覚めて台所に立ったらこんどは右足が盛大に攣って、まるで見えない棍棒でつよく連打されている感じだったので、こころの重みからは逃げられた。
奈良国立博物館の南山城のお寺の展示、観にいきたいですね。