ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

貰い事故でさえ生まれた以上は自己責任か

 きのうの真昼、用事で階下におりて敷地内の舗道を歩こうとした矢先、子供用の自転車で斜めから視界に入ってきて鼻先を走り去った小学生、たぶん男子に遭遇。何事か叫んでいる。叫び声の先には、やや年長の少年がおり、数秒先、その少年が全力疾走する後ろをくだんの自転車ボーイが前輪を地面につんのめらせるようにして進む。

 晴天の、灼熱のグラウンドに、走る少年、それを追う自転車。

 きょうはめし抜きで練習やー、と走って行き着いた先で少年が怒鳴る。何の練習やねん。たぶん、サッカーかフットサル。めし抜きはぼく無理やーと誰か別の少年が応じる。暑いしなあ、めし抜きはあかんよーとまた別の声。自転車はそのへんをぐるぐる回っている。わたしは、それをかなり離れた建物のそばから日陰を選んで歩きながら見ていた。

 10歳か11歳ぐらいか。「めし」と仲間内では言いながら、母親の前では「おかあちゃん、昼のごはん、なに?」と「ごはん」と言い換える年頃だ。東京の東部や千葉の西部で塾講師をしていたころ、この年頃の男の子が内輪でそろそろ自分の母親を「ばばあ」と呼び始めるので、せめてお母様と同年配のわたしの前では、「ハハ」とおっしゃってくださいと重ねて強く要請したものだった。生物学的な、あるいは戸籍上の母親のみならず、年上の女性について親しみを含めて「ばばあ」と呼ばわる文化は確かにあるのだろう。東京でも、鳥越のあたりの育ちの、いま還暦ぐらいの男性は、行きつけのおでん屋のおかみさんを「ばばあ」と呼んでいた。

 推定4人か5人の、早めに学校が引けて一旦広場に集結したキッズのグループは、昼食を理由として散会することとなったようだった。「めし抜きで練習」を提案した走る男の子と、自転車の少年が兄と弟で、ふたりのうちが正確にどこかはわからないけれど、長期の休みの平日の昼間に家にほかに誰もいないので、昼食時間も外でぶらぶらしていることが多いのは、なんとなくわたしも知っている。なにしろ寒かろうが雨が降っていようが、戸外にいることが多いふたりなのだ。「めし抜きは無理やー」といった少年たちは、家で誰か大人かそうでなくとも食べるべき昼食が待っている。

 ちょっと切なくなる。弟の、舗道だろうがピロティだろうがところかまわず全力で漕いで曲がって回る自転車は、いつか誰かにぶつかる。兄貴は、中学に上がって、部活かなにかの理由で、弟と一緒に過ごす時間がどんどん減る。兄ちゃんと離れて、せっかくできた友達も高学年になるにつれて塾にいったり離れた中学に通ったりするようになる。どうする、弟。お金とか手間とか、そういうコストを掛けられない子どもは、競争で不利だ。

 寝る前に、近所の書店で自分で選んだドリルを毎日15分間解くだけで、人生は変わっていくものだけど、そんなTips、誰も教えてくれない。

 用事を済ませて住戸に戻ろうとしたら、車椅子用スロープからいきなり自転車に乗った人が降りてきて接触しそうになった。エレベータで自転車を下ろしてきてその場で乗ってすぐにスロープのほうに曲がった人なのだろう。その人をやっとよけて安心したら、後ろからもう一台、お連れの自転車の人がスロープを降りてきた。

 小学生の暴走自転車をがんばって避けても、きっとわたしは、このスロープでいつか大人の自転車とぶつかることだろう。

ミニトマトがたくさん穫れています