わたしには、このごろやっと意識するようになった、比較的軽微な食物アレルギーがいくつかあるようだ。ひとつは、ある種の木の実で、よくチョコレート菓子のなかに入っているもの。少量なら平気でぼりぼりと食べて、あとで『あれ?』としばらく悩む程度の違和感が喉に残る。その程度のもの。もうひとつは、山芋で、山かけ丼を作るときなど、山芋の皮をピーラーで剥いて粗い賽の目に切ってフードプロセッサーに送り込むと、もう手袋をしていない手は、痒みを訴えている。大量に皮剥きをしてカットするなら手袋も掛けるが、一回の調理量はごく少しなので、つるつる滑りやすいこともあり素手で触ってはかゆいかゆいとなる。もちろん、こちらは自分では食べない。家族はヅケ鮪で山かけ丼を楽しむけれども、わたしの食事は、海苔多めの鉄火丼になる。
21日木曜は、案の定の発熱で、熱が平熱に近づいた隙に食事の用意をして、ふたたび38℃に近づいたら寝て、という感じだった。もっとも、午後はなんだかずっと眠っていたようで、気がついたら16時を回っていた。それでも、早朝のうちに仕事に取り組めたし、ポストクロッシングで、イタリアの人にはがきを書けたので、なにもできないよりははるかによかった。
それらのアーティストは、まったく違うよといわれてしまうかもしれないけど、このごろ、羊文学さん、ヨルシカさん、そして、アイナ・ジ・エンドさんの楽曲をプレイリストに多く取り込んでよく聴いている。自分と世代の離れた、しかし、すでに評価の確立したこれらアーティストの楽曲は、印象的な曲もさることながら、詞の部分部分に、あとになってこちらの心を抉る鋭角を隠し持っており、田辺聖子さんのいう「青春の搾め滓」が、人のこころに終生残すほろ苦さをうたっている。
とかいいながら、土岐麻子さんの歌う、桑田佳祐詞の『白い恋人達』。