ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

こうして書くことにいかなる意味が

 わたしのブログ記事は、個人の嗜好を細かく書き込むことはしばしば繁く取り組まれるけれども、思考、思想、ものの捉え方一般については、殆ど触れることはない。個別の好き嫌いを語ることを通して、全体的な姿勢を伝えようとする手法は、世の中にはあるけれども、少なくともわたしはそうしたやり方を好まないし、それゆえに意識的にはそれを選ばないだろう。

 前にも書いたことがある。とくに目覚めたばかりの時間などに、ひどく物憂い心持ちになっていることがある。そういうとき、わたしは、自分の大脳が小さな蛍光灯に照らされた、青い水を湛えた水槽に浸かっているところをイメージする。寂しいところで、冷たい水に晒されていたから、もう起きていとうないという気分になるのもむべなりと、やおらその大脳を掴んで軽く絞り、自分の脳殻にセットする(と、想像する)。

 きょうもあしたもつらいかもしれない。でも、きょう、あしたと生きていなければ、明後日は迎えられない。なんらかの問題を一気に解決することは誰にとっても難しいし、その問題は片付かないかもしれない。いいことが必ず起こるという確証もどこにもない。そもそもが、わたしのように規則正しい生活を送っていても、ときどきは目覚めの時間に脳が比喩的に青い汁に漬けられているような思いをする、悲しくなりがちな体質の人間もいる。

 居心地が悪くてもいいじゃないかとはいわない。環境がよくないよりはいいほうが快適に感じるにきまっている。不愉快よりは、たのしいほうが、いい。でも、ほかならぬあなたのために、つらいきょうとあしたをどうにかやり過ごしていってほしい。

どこまで丈高く伸びるだろう