ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

暑さの階段をひとつ上がったか/三伏

 倉橋由美子夢の浮橋』は、大学紛争がさかんだったころの都内の屋敷を軸に、春先から次の年の秋口までの「桂子さん」が、過ごした時間を写している。約50年前の東京は、オリンピックも無事に開催を終え、ということは、京都の名刹や茶屋で行われる茶事へも新幹線で気軽に往復ができる時代に入っている。しかし、まだ、いまよりはぐんと涼しい。

 桂子さんは大学4年生で卒業論文を書いている最中なので大学へも頻繁に通い、したがって、外では洋服を着ている。その母親は、当時の出版社の重役(のちに桂子さんが社長を継いだので創業家ということらしい。)の妻らしく、暑中でもだいたい和服で過ごす。京都からやってきては桂子さんの家に寝泊まりする「ふぢの」というおばさんは、少女のころから桂子さんいとっては女の厭なところを煮詰めて固めたような存在だが、岡崎の古美術商だか道具屋の後家ということなので、これもたいてい和服だ。

 広いけれどもあまり空調を入れて締め切っている感じでもない屋敷の中で、桂子さんは、お隣の奥さんが届けてくれたお見合い写真の表紙を眺めたり、母親に料理を習ったりする。三人姉妹のいちばん上の自分だけが、なぜか父親に偏愛されている自覚はあるし、その理由にもうっすらと心当たりはある。ときどきやってくる「ふぢの」おばさんのみならず、母もまた、桂子さんにとっては、同性のなじめない部分を数多くその身のうちに潜めた仮想敵なのだ。

 桂子さんの家には、蓮池に面した座敷がある。暑中、そこで父親が涼をとったり、同級生の男の子が見舞いにやってきたのに会ったりする。「前田」という名の、その体育会系男子は、先輩の「宮沢」さんと相思相愛の仲である桂子さんに対して、宮沢さんが卒業して就職して去ったあとは、なんとしても大切に怪我のないように見守らなければならないという義務感を抱いている。うっすらと鬱陶しさを覚える言動を繰り出すことさえある。が、なにしろ、50年前の青年である。

 その『夢の浮橋』だったか、後続のシリーズの作品だったかに、「三伏」と出てくる。日本版ウィキペディアには、以下のような説明がなる。

……一般的には、夏至以後の3回目、4回目と立秋以後の最初の庚日をそれぞれ初伏、中伏、末伏とする。

 この三伏の間は、酷暑の時期というらしい。きのう、なぜか18時前に夕餉をとることになり、まだ陽の照り残す食堂で、暑さに追い立てられるように食事を終えたのだけど、その18時過ぎの気温が34℃を超えており、桂子さんもふぢのさんも、きっとこんな暑さはご存じないと思ったことです。