ある家族が、ときには三世代で卓を囲み食をともにし、互いの健康とこどもの成長、老人の長寿を寿いでいたのだが、祖母の立場にある人の老耄をきっかけに関係が揺らいだ。介護が、もっぱら同居する単身の次女の双肩に委ねられ、次女としては、できる限りの体力、時間、配慮といったリソースを母親の介護に割いたし、お金の面でも少なからぬ持ち出しをした。そして、時間が流れて、「祖母」、単身の次女にとっては母親に当たる人は、専門にケアを行う施設に入所し、ほどなくして亡くなった。
さて、「祖母」より以前に、彼女の夫にあたる人は物故していたので、家の財産を次女を含めた数人の子で分けることになった。皆、はじめはなごやかに遺産分割協議を調えて、現金やその他の金融資産、不動産を分けてしまえると思っていた。ところが、分割方法で揉めたし、分割割合でも拗れた。少々時間を掛けて、皆が少しずつ不満を抱えつつも、親のもちものだったお金や株、家屋敷を分け終わったあとは、法事でもない限り行き来することはなくなったという。
と、わたしと血が繋がらないわけでもない、地方の平凡な家の歩みを思い出して、いまは隙間風が吹き抜けるだけのあの大きな広間に、おとなこどもで三十人ばかりも入って、すいかを食べたりビールを飲んだりしたことを懐かしんでいる。