ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

空っぽを生きる

 「突然、足元を支えている地面ががらがらと音を立てて崩れ去ったような」てな陳腐な言い回しは、いかにもちかえもんならわしのプライドが許さへんのやと避けそうでしかししっかり遣っている慣用表現である。ともかく、わたしは、これまで自分の周りに肌触りのよいものばかりを並べて、人生の日永を過ごしてきたけれど、実はそれがほとんど内実を伴わない苟且のものであることをしりながら、あえて目をつぶっていた。

 『宇津保物語』では、北山の大きな木の空洞で暮らしていた仲忠を実の父である兼雅が見つけ出し、仲忠は、空洞をもつ楽器である琴の琴の弾き比べによって涼とあて宮を巡って優劣を決しようとするが、あて宮は春宮に入内してしまう。その後、仲忠は、長い時間をかけて、母の尚侍、娘のいぬ宮と家の芸である琴の琴の秘曲を伝授する。うつほを、中になにも含まないからこそ機能するものと捉えれば、それは、あてのない人生こそ、そこで過ごす須臾の間に行う/行わないことで充たされる/充たされない、ひとつの空洞といえるだろう。

 

  日付がかわったころに配信があった。何かをなし得たという人生の美しさ。そういうのもよいと思う。