木曜の夜、わたしがお皿を洗っている間に夫に材料を攪拌してもらったのをアルマイトの鍋にお湯を沸かしてパンチング笊を置き、その上にうちで最大のラーメン鉢を浮かせてプリンを作った。
結論からいうと、緩い固まり具合だった。理由は、冷蔵庫から出したばかりの冷たくて、しかも濃い牛乳が、卵液に、都市ガスの火力の限界を超えさせなかったからである。もっと平たくいうと、牛乳が冷えすぎていたので、卵液の温度上昇がうまくいかなかったのだ。
蒸し鍋や電子レンジでの追加熱でもう少々固まらないかと試しもしてみたが、効果はごく少し。緩くても固まっていればこちらは構わないので、寝る前に冷蔵庫に移して朝から少しずつ食べた。甘すぎなくておいしい。
うちで菓子をつくることでよいのは、砂糖の量を好みで調節できるところだ。小さな小さな菓子などはまるで内科のお医者さんと看護師さんたちがダースで追いかけてくるぐらい甘いほうが好きだけど、プリンや寒天のようなのは、もう殆ど知覚できるかどうかというぐらい少量の砂糖のほうがよい。なにせそういう冷たいふるふるは量を楽しむものなので。
満員電車のベビーカーとか、児童虐待とか、報道をみて、じゃあどうするのが「正しい大人」の態度なのだろうかと思う。
— pyonthebunny (@ae_pyonpyon21_j) 2019年5月17日
正しいことがわからない。はてなブックマークのユーザーの中からは、子はおろか配偶者さえ得ることができず満員電車で通勤するわれらがどうしてめでたく子を儲けた者らにさらにその電車の中でまで譲らねばならないのかという怨嗟の声まで流れてくる。とはいえ、これもまったくの荒唐無稽な主張というわけではなく、たとえば東京メトロ東西線の大手町付近の平日朝8時前後の混雑振りは、人間の密度という点で、未だに感染が恐ろしくて病名告知後6年を経ても乗車を避けている*1。まして、通勤者は毎朝のことである。押されてつかまる場所もなく身体が浮くような満員の車内で、自分の身体のゆくえに責任をもつ以上のことが普通の人間にできるのかというととても怪しい。
しかし、だ。「妊婦様」に続いて、「ベビーカー様」という呼称は、いただけない。はなから対話を拒んだ、様付けではあるけれど、一種のスティグマ、敬して遠ざけるための蔑称であるからだ。
旅番組のオランダ編でよく観るような、ベビーカーのみならず自転車までもすいすい載せるコーナーがあるような電車は、平日朝の都心部では望み得ないのだろうなあ。
*1:けっこう何にでも簡単に感染する身体なので。だから高くてもタクシーが、鈍くても都バスのほうが、電車よりはましなのだ。