井原西鶴が俳諧の世界から浮世草子、人形浄瑠璃まで手を広げて文名を轟かせていたのは17世紀後半。幕府の将軍でいうと4代家綱から5代綱吉の時代にあたる。当時の作家は、原稿を本屋さんに渡すときに報酬を受け取ったきり、のちにその作品が人気が出てやまほど増刷されたとしてもさらなる印税収入は得られない。そして、神社の境内を借り切っての数千、数万に及ぶ俳諧の独吟の費用、基本的に全部自分持ちである。だから、京阪のみならず江戸や地方でも有名な西鶴は、視覚障害はあるけれども煮炊きはとても達者なむすめとふたり、とても切り詰めた生活を送っていた。
才能に溢れているけれども実に困ったことだらけの父親と、しっかりしているようで本当は寂しいむすめ。西鶴のわかりやすいようでわかりにくい愛情が、もどかしくてかなわん。