少し先の進路のはなしになるが、わたしは、浄土真宗本願寺派のある墓の管理の役目を負うことになるようだ。それと同時に、わたしの遺骨は、このままいけば、真言宗のある寺院の敷地内にある納骨堂に納まる。数年前までは、ちょっと珍しい身体として、医学の進歩に貢献できるかもしれなかったが、このごろでは希少さが薄くなったようで、そうなるとどうぞ献体させてくださいとも申し出にくい。まま、そのあたりは、今後の状況次第で変わっていくのだろう。
さて、『阿吽』である。少し前に既刊の12巻まで読んで、一昨日からまた読み直してみた。密教は、心身の病や国の禍に「効く」ために、平安初期から国家権力と強く結び付いてきた。その揚げ句、新興勢力である、たとえば、織田信長と鋭く対立して焼き討ちの難に遭いもした。遭いもした、と書いたが、そこには圧倒的な暴力に晒されて生命を失った人間もあまたいたはずで、比叡山焼討ちが、中世から近世にかけて信教が殺戮と隣り合わせになったひとつの例というにはあまりに酸鼻なさまである。
そのように教団が信長に目の敵にされるまでに勢力を広げるはるか以前、比叡山と高野山に、それぞれ教学の基礎を築こうと、最澄と空海が歴史に現れた萌芽の時代を『阿吽』は、描く。才ある人格者である最澄と、天才としかいいようのない空海。このふたりの出現に、百年を数える仏法の都である奈良の僧侶らはおののく。人の阿頼耶識に直接働きかける、文字が、ことばが、政争に倦んだ権力階層や、日々の暮らしさえ思うようにならない疲弊した草莽へ染みこむ。
そこに救いはあるのか。