ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

世の中という漠然とした市場では

 日常の暮らしの中で、当然、ごみは排出するけれども、自宅の近所にそれを処理する工場は設置してほしくないという人は一定数存在する。子や孫に、健やかに成長してほしいと願い、その親である息子や娘に安心して子を預け、労働に励んでほしいと願う人の中にも、静かに暮らす自宅の隣にあらたに保育施設が開かれるのに抵抗感をもつ人もいるかもしれない。

 生活のそばの、いわゆる「迷惑施設」ならば、たとえば、ごみ処理施設ができると悪臭や空気の汚染、交通渋滞等が生じて生活に不便が生まれるのです、保育施設があまりに近すぎると、朝夕の送迎で道は混み、園児の声で落ち着いて暮らせないのですと、それぞれ故障を具体的に説明できるだろう。

 これが軍事基地となるとどうか。仮想敵の重点攻撃目標になりそうなものを抱えた施設が自宅から半径数キロ以内に存在すると、安心しておちおち暮らしていられないから、という声をテレビのニュースのインタビューではよく聞く。軍事基地とか原子力発電所とか、一緒にするのはどうかと思うけれどもドーム型複合施設とか、あってもいいけれど自宅に近すぎるのは困る、というものは世間には多数存在する。

 では、それが、一冊の本ならどうだろうか。

 今回、KADOKAWAが2024年1月下旬の出版を中止した翻訳本は、その内容が数年前に原書が出版された時点で危険で有害で事実から乖離していると指摘を受けていたという。現在、ある種の緊張状態を保ちながら、社会の中の少数者として生きている人々を追い詰め、その生命身体に対して具体的な害悪を及ぼす蓋然性の高い書籍ではないかと。建前論からいえば、思想の自由市場に並べて、多数の批判(非難ではない)の俎上に置き、論じる「べき」との意見も考えられるだろうが、今回は、版元の出版中止の判断がわりあい早かった。

 内容も日本語版がない状態でなんだけども、憲法学の方面からの識者の意見も読みたい。

 

 本文とはまったく関わりのない、蒸籠。最近、一種の蒸しザルを買いました。