ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

第3シフトの手当を懐にヤナの店へ寄った

 麓へ向かうトロッコに乗ったのは、朝の7時前。わたしと同じように第3シフトを終えたものの、そのまま宿舎の風呂に浸かって次の勤務まで仮眠を取ろうとする者が多いので、下りのトロッコにはわたしのほかは数人の者しか乗り込まなかった。気温は、-15℃ほどで、さすがにこの時期のトロッコには強化プラスチックのシールドが二重に掛けられている。わたしは麓の町のパブの店主、ヤナに少々借り越しがあったので、それを返すついでもあって、彼女の店に寄って朝飯を食べようと決めていた。

 シールドの外は、幾重にも青い闇。麓の町を取り囲む向かいの山から曙光が射せばたちまちまぶしい朝になるのだが、この時期の夜明けにはまだ遠い。そもそも第3シフトは、担当時間帯がほとんど夜中のうえに厳寒の外気にも触れるので、終わってしばらくはなにも食べる元気が出ないほど消耗する。少なくともわたしのような中年者は、消耗をすぐさま穴埋めするための食欲など、もう持ち合わせてない。その意味でも、ヤナの店のある麓への1時間弱のトロッコ移動は好都合なはずだった。わたしは誰にも遠慮することなく座席のリクライニングを倒し、厚手のジャンパー越しに腕を組んで目を閉じた。

 20分ほどもまどろんだろうか。唯一の途中駅である中ノ湯でトロッコは止まった。ここには、山頂近くの事業所と麓の支社を結ぶ、緊急時のためのバックアップ設備を造るつもりだったが、掘削しているうちにしだいに温泉、それも泉質のよい入浴に適した湯が豊富に噴き出すことが明らかになってきたので、本来の施設を少し離れたところに移して温浴施設を主にしたという曰く付きの場所だった。だが、それも150年ほど前の話である。麓の町から数日間の湯治旅に来る者もいれば、事業所から麓に降りる途中で湯に浸かる作業員もいる。ただ、それほど繁盛している温泉ではないのは、この地方が首都からとても遠くて、しかも交通手段もきわめて限られているからだろう。

「ねえさん、お疲れだねえ、いま、シフト上がりかい。」

 3分間の停車時間にトロッコの出入り口から顔を出したわたしと同年配の中年の女が声を潜めた、しかし、実は大声で聞いた。ヤナの従姉の、ハンナだ。この中ノ湯で賄いをして働いていて、麓へはほとんど降りてこない。

「ああ、いつも通りさ。今度は3日休める。」

「そうかい。ああ、これ、もっていきなよ。」

 ハンナは紙に包まれた、なにやらほかほかするものを差し出した。中身は、きっと羊の肉の餡がつまった中華饅頭だろう。受け取ると、ずっしりとした重みと温かさが感じられた。「ああ、ありがとう。」思わず受け取ってしまったけれど、いったい饅頭がいくつ入っているのかわからないほどの重さだった。もしかして、わたしを載せたトロッコが来るのをハンナは待っていてくれたのだろうか。

「あ、じゃあ、また。ヤナに会ったらよろしくいっておいて。」

「わかった。ほんとうにごちそうさま、ハンナ。」

 トロッコの扉が閉まって、ハンナが外で、わたしが内側で手を振った。世が世なら、もうとっくの昔に引退して、孫の世話など押しつけられるのを避けつつ、暢気に暮らしている年頃だよねあたしたち、などと、ヤナともハンナとも、わたしは話したことがあった。ただ、三人で飲んだり食べたりしたことはついぞない。ヤナは麓に、ハンナは中ノ湯に、わたしは、麓と山頂を行ったりきたりで、ごくたまに中ノ湯に立ち寄る。首都からこの地方に移されて何十年かになるけれども、浮いた話もうれしい出来事も皆ほとんどないままに暮らしている。与えられたものより多く何かを望むことさえしなければ、寿命を全うできる。それが守らねばならない唯一の取り決めだから、あえて逆らうのは馬鹿者のすることだ。以前は、「もっとたくさん」の物資や空間や時間や、自由を望んで求めた人たちが、最初は頻繁に、途中でもっと数多く、最後のほうはちらほらと、いた。しかし、そういう人たちは、いつのまにか別の場所へ移されていて、二度と顔を見ることも声を聞くこともなかった。望んだり、求めたりすることをやめた後、わたしに限っていえば、生活は、このトロッコの揺れのように、単調だけど平和だった。

 温かい車内の温度と膝に載せた饅頭の包みの重さ、そしてトロッコの振動に誘われて、中ノ湯から麓の駅まで、わたしはほとんど眠ってすごしたらしい。麓の駅は、まだ夜のままで、駅のただひとつの改札口からまっすぐに伸びる道のすぐ右側にあるヤナの店は、電飾もそのままに営業中だった。

 ヤナの店の扉を開ける。いらっしゃい、とヤナが言う。ほどほどに明るい店の中には、朝食だか遅い夜食だかを食べにきた中年者が何人か。わたしと同じように、もはや男だか女だかわからない風貌をしたものばかり。この高緯度の寒冷地では、凍死しない餓死しない最低限度の設備とカロリーの支給は保障されているけれども、どうしても日常の労働で不足を補う必要があるため、皆、屋外屋内でのやや苛酷な労働に従事することになる。わたしがたまに第3シフトの勤務をするのだって、通常勤務の倍ほども手当の額がよいからだ。しかも、その手当は現金で支給されるので、こうして給料日前にヤナに借金を返しにくることもできる。

「これ、助かった。ありがとう。」

 わたしは、ヤナに金の入った封筒をそっと手渡す。ああ、といってヤナは簡単に封筒の中を確かめ、手元のノートを開いて、わたしの名前と金額に赤い線を引く。用件は終わったので、そのまま帰るのもありだったけれど、食べていくかと聞かれたので、やはりカウンターに座って朝食を注文した。

「中ノ湯で、ハンナさんに会ったよ。」

「へえ。」

「元気そうだった。ヤナさんによろしくって。」

「へえ、ハンナが。そお、ありがとう。」

 少し鼻で笑ったような感じだった。母親同士が姉妹のいとこで、首都近郊でほとんど姉妹同然に育ったのだとハンナからは聞いたことがあった。ヤナは、というと、ハンナについては、だいたいいつもこんな感じで話すことも少ない。

 饅頭もくれたよと例の包みを示したが、反応はない。さっとベーコンを焼いて温めておいた玉子を添えて、あんたポリッジのほうがいいよねえと聞きながらすでに碗をもつ手が焼けそうなほどあつあつのお粥を盛っている。ひどい荒くれもいない代わりに、洗練された客もまったく訪ねてこない、辺境の駅前のパブをほとんどひとりで切り盛りする女傑らしく、ヤナは、ものに動じるこということがほとんど、ない。

「あのさ。」

 お粥の碗の底がようやく見えてきたころにヤナがわたしに言った。

「これから帰って休むんだろうけど、今晩は鶏とかちょっとしたケーキとか焼くからさ。気が向いたら顔出しなよ。」

「うん。起きられたら、まあ、目が覚めるんだろうけど、きっと来るよ。」

「よし。来てくださいな。」

 ヤナやハンナは、キリスト教徒なのだろうか。わたしは、親の家にいたころは、浄土真宗門徒で、結婚した相手の家は真言宗の檀家だった。この地に送られてからは、仏像に手を合わせることもなく、花を手向ける機会も設けずに何十年も暮らしてきた。特定の日に、鶏やケーキを用意することは、待降節を厳粛に過ごしてきたであろうヤナの少女時代の名残なのだろうか。

「うん、それじゃ、また夕方にね。」

 わたしは朝食代を払ってヤナのパブを後にした。ドアの外はようやく薄暗い程度にはなっていた。