ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

少しだけ米粒を口にしてみる

 夕食に、胡瓜と卵を炒めるレシピで家族が一品つくってくれたので、ごはんを30gほど食べてみた。足がまったく働かなくなって、台所での短時間の軽作業も覚束なくなってきたのでこれではさすがに危ないと思って。

 薄めにスライスされて卵と炒め合わされた胡瓜は癖もなく、蕪に似た歯ごたえだった。ごはんは、身体がこれをうまく消化してくれれば回復のための足がかりになるだろうけど、もしもまだ時期尚早ということであれば、夜中に苦しい時間が巡ってくる。自分の身体で賭けをする年頃ではもはやないので、こういうときは安全側に倒して「食べない」という選択もありだけど、しかし、日々の家事は短時間の軽作業の積み重ねなので、それさえこなせないのはやはり困るのだ。

 家庭の安寧のために眦を決して胡瓜を咀嚼する中年女。悲壮というよりは圧倒的に滑稽である。四月に一種の鬱滞を起こしたときは、ものを食べない期間が半月程度に及んで、なぜか体脂肪がたくさん落ちた(とはいえ痩せたわけではない。)。食べないでいると食べる能力はどんどん落ちていくようで、長く食べずにいれば回復までの時間もまた余計にかかる。そういうのは、年寄りを食べさせる身としては都合が悪いのだ。

 結局、胡瓜も卵も米の飯も、いまひとつ腑に落ちる味わいではなかったけれど、ゆっくり時間を掛けて食べたおかげで、なんとか身体におとなしくおさまってくれた。ありがたいことだ。