ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

複数婚についてSFでこんなのがあったと思う

 『月は無慈悲な夜の女王』だったと思う。もう15年ほど前に読んだきりで、以下、うろ覚えで大事なところで間違っているかもしれない。そのSF小説のモチーフとして出てきた複数婚は、地球とは環境の異なる、生存のためにより多くの制約を伴う月面に暮らす市民の間で見られるものだった。最初のふたりが結婚する。それから3人目が正式な配偶者として加わり、4人目、5人目も、それが男性であれ女性であれ、婚姻の正式なメンバーとして婚姻に加わる。最初のほうのメンバーが死に絶えたあとも、婚姻関係は結ばれ続け(と同時に、関係からの離脱というかたちで解消されることもあるだろう。)、月の上での生活を保障し資産を共有する大きな家族が形成される。

 今朝、ひとさまのブログを読んでいたら、LGBTQに対する理解と同じように、複数婚の実践者に対しても一定の寛容さを示すべきだという論述を目にした。現代でも、特定の宗教のもと、一夫多妻がありうるという知識は皆もっている。それから、「オープン・マリッジ」なる語が、このごろ海外ドラマなどでもわりと頻繁に用いられている。『ニュー・アムステルダム3』という医事系ドラマの主要登場人物の外科医の人は、好きになった同僚が上司の配偶者で、しかし、オープン・マリッジの実践者であるという条件のもと、上司にあなたの配偶者さんとお付き合いしていますと公表した……けれども、上司の反応は、それほど捗々しくはなかった。

 正直なところ、わたしは、LGBTQの話題について、とても詳しいわけではない。同性婚の話だけなら、選択的夫婦別姓と同様、いまその望みをもって現実を生きている人間の真摯な思いを叶えるのにいったいなんの障害があるのかと思う。ところが、たとえば、自分は女性であると主張する生物学的な男性が、女子スポーツの分野に参加して好成績を挙げ大学奨学金を獲得するのをみて、それでいいのかと考えてしまう。また、自分は女性であると主張する生物学的男性が、入浴施設やお手洗いといったエリアで女性用の場所に入ろうとする、または、入ろうとして拒まれる現象について、はっきりとした判断をもたない。

 これに加えて、3人より多くの婚姻形態について、遠い異国の、自分のとは違う宗教を信ずる人たちのそれではなく、自分の国の、同じ町内の人がそうしていたらどう思うのか、自分の頭の中のことなのににわかには予想できない。