近くの運動もできるスペースは、近隣のこどもたちにとって貴重な放課後や休日の遊び場。道路脇のポケット公園ならかなり遠くでひとつ見掛けたけれど、このあたりには小中学校の校庭以外でこれだけまとまった面積のある場所は見当たらない。
たまに(1時間に3回くらい?)、いわゆる「遊び声」が『うるせえな』と感じることは、たしかにある。ただし、それは、わたしの耳がかなり変で、そして、大きな声は異変を報せるものとその程度を一般人よりも過剰に評価する、一種の職業病によるところも大きい。2kHzと名付けて声だけは特定して愛しんでいる学齢前の女児と、もうだいたい大人の声になってはいるけれどもときに無理無体な内容を叫ぶ小5くらいの男の子のそれぞれの声は、夕方のサウンドスケープを彩る重要な要素である。
市中の最高気温が38℃を超えても、彼らは、この夏休み、午前中から午後薄暗くなるまで少なくとも断続的には、このスペースで過ごしていた。たまに用足しや水分、栄養補給で帰宅してはいるのだろうが、保育園に通う女児はともかく男の子たちは、暑さに対する著しい耐久性の高さを示し続けた。夕方からその集団に加わるともなく顔を見せる件の女児は、登場と同時に退場に至るまで、2kHzでほぼ間断なく叫び続けるが、いまのところ、その叫びの言語としての意味はわからない。彼女は、その声を聞く者に何かを伝えたいのだろうか。
そのこどもらが、旧盆の前後に消えてしまった。親御さんの田舎などにまとまった期間、連れて帰られたのかとも思ったけれど、それにしても2週間近く静かなのである。それにつけても思い出すのは、最寄りのショッピングモールのエレベーターの前で耳に挟んだ小学生の会話だ。曰く、
「なあ、きょうもゲーセン行くやろ?」
「無理や。きょう、お昼代しかもろてないねん。マクド……。」
「なら、なんぼか余裕あるんとちがう?」
「や、きょうはやめとこ。○×ちゃんも、もうええ加減に……。」
「せやけど!」
わたしの方言再生能が弱いので、だいたいこんな内容だったとしかお伝えできない。○×ちゃんは、モール内のゲームセンターで遊びたい。しかし、その友だちは、自分はゲーセンへは行かないし、相手にもそろそろ控えたほうがいいとやんわり窘めている。マクドナルドで小学生がお昼を食べるのに幾ら小遣いを渡されているかわからないし、わたしならマクドの下にある平和堂系列のスーパーでパンと果物ジュースでも買って家でひとりで食べるけれども、それは違う時代の違う小学生の消費性向だから関係ないよね。
ともかく、涼しいという一点において、近所のショッピングモールは、夏場はわりとよい場所なのである。スターバックスコーヒーの出店基準は、きっと充たしていないけれども。
ばあちゃんの家から戻って昼間はモールにいって、あとはおうちで昼寝しているのかなと静かな階下を眺めつつ、台所で食器など洗っていたら、きのう、あの懐かしい2kHzが風にのって届いてきた。あいかわらず意味はわからないけれど、魂を震わせる声質と声量だ。声帯も丈夫ならば、肺活量もきっとたいしたものであろう。ただ、『声が出せて楽しい』以上のものは、わたしにはわからない。
ああ、また「うるせえ」と思うだろうけど、でも戻ってきてくれてよかったなあと思う。それなのに、きょうからまたしばらくは遅い台風10号の影響で、外遊びするには足元が悪くなってしまって、そして八月はやがて終わる。