ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

よそへいって自由にしたい

 温泉にいきたいねお魚いっぱいたべたいね、と話しはするものの、緊急事態宣言解除直後で、県境を挟んでの移動は月の後半まで控えるのが望ましいとされているので、あいかわらずの家居の毎日である。

 思えば、各国の基本法で保障された移動の自由を、COVID-19の感染拡大を抑えるために、ある国では直接的なロックダウンというやり方で、また、本邦においては自粛要請という形式で、一時的に国民から政府が預かることが容認された2020年の前半だった。だからといって、生命身体を脅かされずに平穏に暮らすための権利や、政治的主張を表明するためにデモをする権利まで放棄したわけではないと、香港でもアメリカ合衆国の諸都市でも人々が街に溢れている。アメリカでは、日が暮れるとなぜかデモだけではなく、商店からの略奪行為が行われているようで、いくら失業率が急激に上昇して経済的不安が蔓延しているとはいえ、これはいただけない。デモと盗みは、切り離して語られるべきだ。デモを鎮圧するために、州兵を投入するための口実を与えてはならない*1

 たとえ誰かから、ときには大多数から、嫌われたとしてもときには激しく憎まれたとしても、心身ともに健やかに生きる場所を確保できること。これが、人類がホロコーストを経験した後で目標とされた、20世紀的な生存権の中身といえるだろう。しかし実際には、何百人かに蛇口ひとつという環境で、石鹸を用いた手洗いさえままならず、狭い場所で身を寄せ合って過ごしている難民の人が何百万人もいる。また、住んでいる場所こそ自宅ではあるけれども、疫病から身を守る術を殆どもたずに、毎日を過ごしている南米やアフリカの何億人もの人がいる。21世紀だというのに、熱中症に瀕する暑さと湿気の中、マスクを掛けて、そろそろぎゅう詰めの電車で通勤通学しなければいけない日本の人たちだって、楽々暮らしているわけではけっしてない。

 だから、なおのこと、ここではないどこかに、束の間、いって日常を忘れてしまいたくなる。

 

孤独というより恐怖 「ひと目会いたい」と母は泣いた:朝日新聞デジタル

特に心に残ったのは、移ったばかりの軽症者向け宿泊施設から病院へ逆戻りする際の、搬送車のドライバーとの短い会話。物理的に親族から隔てられる病を患う筆者が、立入禁止のテープの向こう側で、見たこと聞いたこと

2020/06/02 15:28

 

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いちばん上のは、皆川明さんとリバティのコラボレーション。

 その1枚だけは、フェリシモのポイント交換でもらった。

*1:でも、もし、自分がわりと儲かっている小売店のマネージャーだったらどうだろう。デモの参加者と暴徒になりうる人の見分けなんてできるのだろうか。