先週のある日の昼下がり、追加で届いた処方薬を取りにドラッグストアに行ったら、画面はわたしがいる席の反対側に向けられていたけど、テレビの地上波チャンネルでワイドショーが流れていた。なにがしさんを乗せたタクシーがいまどこやらに着きました、という実況か録画かわからないレポーターの声。ことの是非はまた別として、堂上地下に関わらず、藩屏となるべき家々を剥がしきって久しく、しかも旧メディアに加えて各人即時受信発信可能のインターネット普及済みの現在である。ここ50日間ほど、世上をあげてお賑やかなことであっただろう。
いま、心懸けてフィクションを取り込むようにしている。もちろん、小説も読む。
お仕着せの映像や絵が脳に直接飛び込んでくるドラマや漫画と異なり、小説は、ドイツのじめじめした村の州立の精神病院や、人影の途絶えたドイツ占領下のリヨンの大通りなど、たとえ行ったことのない場所であろうと、頭の中の材料を組み立てて曲がりなりにもその情景を想像しないことには話が続かない。
それが面白い。とはいえ、内容は、いずれも第二次世界大戦末期の極限状況において、人間が逃げようのない何かと対峙するものだ。理性も感情もかなり追い込まれる。こういう読書は、しばらくしていなかった。