先週力尽きて断念した定期通院のやり直し。豚じゃがが主菜のお弁当を家族の人数分作ったりしていたわりには受付開始数分前に病院内にいられたりして、まあまあの滑り出し。84円切手に国際文通週間の15円の切手、ぽすくまの1円切手を足してはがきの航空便料金100円にする方法も教えてもらえた。少々長く手元に置いていたともだちへのおみやげもやっと発送できたから、郵便局関係もクリア。
検査も終わって、そこからの待ち時間は、持ち込んだPCと向かい合って仕事。日中、家ではなにかと中断が生じるけれども、病院内のカフェではコーヒーを啜るか仕事をするかしかないので、ほどほどわさわさした中でもかえって集中できるくらいだ。学生のころ、ドトールで問題集を解くというともだちがいて煩かろうにすごいなあと思ったけど、いまならその気持ちがなんとなくわかる。敵意の濃度の小さい、雑然とした感じは、自意識をかえって薄める。たくさんの人に使われて古びた、でもしっかりした造りのカフェの椅子に中途半端に腰掛けて、公刊物である資料の読み込みをしているその時間、わたしは自宅の机に向かっているときよりもむしろ仕事というものに対してより正直で誠実な顔をしているかもしれない。
仕事が終わって、それからフランス語講座応用編の今月8回分のテキストを手帳に写して(外待合の隅っこで丸くなって作業。)、受診も終わったので、24/10/24のスタンプの入った地下鉄バス一日乗車券を使って、桝形商店街まで。出町ふたばさんで、まあまあ並んだけれども、新栗餅と名代の豆餅を買った。ちなみに、人気のモンブランは、早い時刻に売り切れてしまったとか。
出町ふたばさんで並ぶときにいいなと思うのは、誰かと並んでいる人もひとりで列に加わる人も、どこか気恥ずかしそうな嬉しそうな顔をしていて、待たされていらいらしている人は滅多にいないというところ。たくさん買っていかれる人もいれば、豆餅と栗餅ひとつずつという人もいる。たとえ少しの餅のためにであっても、人生の何十分間かを出町ふたばさんとお隣の駄菓子屋さんの前に展開する4本に分割された列で過ごして悔いはないというのだから、そこは餅の偉大さである。わたしもそれほどたくさんは持ち帰らなかった。
それから司津屋さんでお蕎麦を食べての帰り、203番に乗ったまま西大路のあたりまで大回りに回って、なつかしい北野天満宮や北野白梅町のあたりを眺めつつ、バスに乗ったまま四条通を通って、最後は東山三条のバス停で降りて地下鉄で帰ってきた。