ぴょん記

食べる、遊ぶ、学ぶ。

生きづらさの本質は

 西炯子『初恋の世界』には、主人公の小松薫の容姿を中学時代ずっと揶揄し続け、大人になってから彼女に謝罪し、しかも、恋情をもってかなり粘り強く薫にアプローチし続ける、「竹下」という男が出てくる。地元の食品小売会社の跡継ぎ息子である竹下は、一度離婚を経験しているが、依然、婿がねとしての値打ちは高い。どんなところが薫の高校の同級生黒岩や見合い相手に高く評価されているかといえば、まず、竹下食品という小なりといえども優良企業の次期社長であるという経済的安定性である。それから、こまめに得意先を回って、丁寧に頭を下げて回るという勤勉さ。見かけの小綺麗さはそれほど褒められず、やや無神経な振る舞いはマチズモの色濃い角島という土地柄、それほど論われない。つまり、竹下は、少なくとも表向きは、角島生活における強者なのである。

 これと対照的に、井田酒造の三男坊・寿三郎は、社長の長兄、専務の次兄の陰に隠れて、社内社外を通じて存在感が薄い。数年前に、東京での音楽の道を諦めて角島へ戻ったことに強い拘りを抱いている38歳。しかし、中途入社であっても経営者一族であるので、係長の肩書きは帯びている。薄くて鬱屈して、でも、合コンに出席して、初対面の女性教諭を泣かせるくらい、はげしいことばを口にすることもある。

 竹下も寿三郎も、角島という、丸州南端の、「賢い女たちが働き者の男どもの顔を立てて立てて立て倒す」土地において、平成末期令和はじめとは思えないほど、昭和の名残を色濃くとどめた悩みに苛まれる。つまり、それは、どのように迫ったとしても、自分は特定の誰かに受け容れられないという普遍的な苦悩で、大要、「強者男性」であるかにみえる竹下や寿三郎ですら、自分の属性を最大限アピールしたところで、薫は、竹下に振り向いたりしないし、寿三郎に至っては、泣かせた当の女性教諭*1に、泥のような現実を受け容れて生きるよう、説かれる始末。お金がある程度自由にならないととても苦しいけど、少々の経済的優位では、心の安楽は得られない。そんな絶望的な戦場で、男は、男であるからという理由で、能動的に行為しなければならない。竹下や寿三郎は、「結婚」という一組のヒトの取り合わせをむりやりマクロ化して眺めたとき、そのマーケットの中では、選べる立場に位置しているけれども、選ぶことの可能性は、自分に適した相手を掴む蓋然性に繋がらない。むしろ、選べる立場の優位性が災いして、その実家の裕福さなどがマーカーとして機能した結果、よくない相手の標的にされることすらある*2

 とか、考えました。

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とんかつが好きです

 

*1:大浦氏といって、彼女もまた、薫の友人。

*2:竹下の見合相手が、どうもな。