今週のお題「自分にご褒美」
ある年、学校の卒業が迫った日、お世話になった先生を囲んでささやかな夕食会を催して、それから場所を移してしばし歓談した。わたしにとっては、小学校から数えて何度目かの卒業で、成人してずいぶん経っていたから、当たり前のように少しだけどお酒も入った。もう、しばらくは顔を合わせる予定もない級友たちと四方山話をしながら、着いた先は、丸ノ内の丸善の入っているビルの中にあった葉巻を出すバーだった。そのころ、わたしは、喫煙者で、でもだからといって、市販の紙巻き煙草しかしらなかった。葉巻といえば、映画『インディペンデンスデイ』だったか、未知の異星人の大きな宇宙船に飛び込んでいった主人公たちが、最後の最後で万事休すというところで取り出して最期の一服を、というぐらいだからきっと旨いのだろう、という程度の認識だった。
そのバーで、わたしは、葉巻を味わうことなく、なんだか弱めのソーダ割を飲んで、終電に間に合うように話を終わらせて級友らと別れたのだった。彼らと久闊を叙す機会をもつこともないまま、はや十年以上の時間が流れた。あのあとすぐに煙草もやめたし、いまではお酒もほとんど飲まなくなった。
それはともかく、あの夜、葉巻のバーにいて、葉巻を味わっていた人たちにとっては、それはどんな意味をもっていたのかしら。日常、単なる嗜好、ときどきの贅沢、ことがうまくいったお祝い、そして冒険。健康な肺に戻ることもないし、けむりをおいしく嗅ぐこともたぶんないだろうけど、かつてわたしの脳のなかにも、たしかに煙草に含まれる化学物質を執拗にほしがる体系ができあがっていて、そのころは、そこそこ煙草を旨く感じていたのだ。そのころなら葉巻もおいしかったのかなあ。