ぴょん記

りんご、いただきました。

『鎌倉殿の13人』第20回

 安宅の関のあの一幕をつい連想させる山伏姿で菅田九郎義経が登場する。田中泯藤原秀衡は、自分が庇護して軍事的才能を開花させた義経が、一ノ谷、屋島そして壇ノ浦と平家を追い落とし、滅亡させた大将軍になったことが嬉しいという。そこで落涙する義経。まるで慈父と自慢の息子のようなふたりに、跡取り息子の泰衡は、義経の関東出立以前から、きっと嫉妬や羨望、少し憧れのような感情を抱いていたのではないか。

 その田中泯が、いや、秀衡が亡くなる。御館の地位を継ぐ泰衡の生みの母親を、自分の死後は、劣り腹の息子国衡の妻にしなさい、という遺言も、叔母さんの八重さんを義時が娶ったのをみたあとでは、トラブル回避の一策だろうとみんなきっと驚かない。瀕死の秀衡が紅葉した枝を広げる木のある庭に降りたつときの階をたどる足先の運び。また、二年ののち、頼朝に見立てた案山子の首を刎ねた夜の畑で思索に耽る義経の前に現れた田中泯の指先が示すはるか彼方。それを見て、きっと義経は、腹を据えたのであろう。

 善児。今回、義時の奥州行の供を梶原景時に命じられた善児。義時は知らないが、兄の宗時、一時は敵対したとはいえ、祖父の伊東祐親、叔父の祐清を暗殺したのは善児だ。そんな不穏な過去をもつ下人と、何十泊かを共にするだろう、慣れぬ土地での旅行。だけど善児は秀衡の六男・頼衡「しか」殺さなかった、といったら、家人が、『いや、回想エピソードの中で、静御前の生んだばかりの子を抱えて去っているから、あのあと由比ヶ浜でその子の命を奪っている。』と指摘した。かつて八重さん所生の頼朝の子・千鶴丸を手に掛けた善児が、義経の子をあやめる。でも、善児は、これ全部、下人の仕事として命じられてやってるだけなんですね。

 三浦透子さん演じる里が、こんなところで死にたくないといいながら、眠っている娘のそばで夫の義経に対して、静御前の子を奪われた不幸をいい気味といい、さらに土佐房昌俊を堀河の宿所に引き入れたのは実は静御前を殺すために自分がしたことで鎌倉は関係ないといって、義経に心臓を一突きにされて即死する*1義経を激昂させることで、自分と娘を手に掛けやすくしたのかとも思ったが、そうではない。里は、比企尼の娘が川越重頼の妻になって生んだ娘。比企夫妻にいわれて義経の奥さんになり、叔父に連れられて京にものぼったが、義経の傍には都に名高い白拍子である静御前がいた。自分が先に義経と懇ろになったのに、自分こそが義経の正妻なのにといいながら、もう鎌倉殿に背いた謀反人の義経とは縁を切って帰ってきなさいという両親には従わず、若い山伏に化けてつらい逃避行にも付いていった。義経も、静には里を比企や鎌倉に対する人質として傍に留めているようなことをいいながら、とうとう最期のときまで、共棲みを解消しなかった。

 田中泯さんと石橋静河さんの舞踊対決や、美酒に漬けられた首級だけになって鎌倉に帰ってきた九郎義経の首桶を抱いて泣く頼朝、自分の考えた鎌倉攻略法を義時にプレゼンテーションして、さらに概要を梶原景時に見てもらおうと義時にレポートを託す義経など、今回もいろいろたくさんでした。

 

 毛越寺(もうつうじ)の浄土庭園、造営もさることながら、日々のメンテナンスがたいへんそう。

*1:この点、義経は里を、早晩殺さなければならなかったからつい脇差しに手が伸びたのではなく、平時であってもそうした可能性が高い。かれもまた、感情と脇差しが直結しているので、現代人としてはたいへん危険である。