ぴょん記

きょうからしばらく雨降る日々

平坦なつぶやきが鈍いナイフの刃と化すとき

 以前読んだ物の本に、「女性同士は、男性単体、あるいは男性及び女性、社会集団から潜在的に選択の対象となり得る存在であるから、いたずらに相手の劣等感を掻き立てるようなアピールは、お馬鹿さんのすることである。」という主旨の文があった。

 たとえば、学校や職場で、朝、同じような頃合いの女性と顔を合わせたら、まず、なにか褒める。髪型でもリップの色でもなんでもいい。先に褒められたら、すかさず自分もさりげなく褒め返す。褒められやすいポイントはきれいにしておくのが親切というものだから、早起きしての紙の手入れも前夜の爪の手入れもよほどのことがない限り、怠らない。そうして、相互に軽く褒めて褒められる状態で一日を始め、課業の合間も気を抜かず、突出して自分が高く持ち上げられたり、また逆に、相手が貶められたりした場合には、すかさずこれまたさりげなくフォローを入れる。そんな、たまたま友達があの業界にいたことがあるから聞いたことのある分野だったんです、といっても何年も前のことで最新の情報でもないんです、とか、あとでこっそり、わたしはさっきのプレゼンの中身、かなりいい感じだったと思うよ資料もわかりやすかったし、と言ったり(とても古い言い回し。)。

 

 ああ、面倒だね。でも、多かれ少なかれ、こんな気遣いなくして、学校も仕事もなかなか捗らないもので。

 さて、高名な女優さんが、お子さんのために早起きして拵えた弁当をSNSで紹介することが、給食の普及や社会と家庭での女性のあり方に関わるといわれたようだ。たかが弁当くらいとは、少なくともわたしは思わないし、だからといってお名前がひょいと持ち出されたことには、その女優さんにとってフェアなことだったのかしらと首を傾げるのだが、皆さんは、どのように「受け止められ」ましたか。